トミー富田のハーレムナウ

ハーレムの新旧の名所を毎月ひとつずつ紹介しています

〜NY週刊紙「週刊NY生活」に連載中〜

(※文章・写真の無断転用・転載厳禁です)

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#18 シング・ハーレム・シング!〜オフブロードウェイ・ハーレムシリーズ最新作
#17 日本とアメリカ ジャズ事情〜2009年新春スペシャル
#16 ホワイトハーレムの登場〜人種で東西縦割り3分割
#15 御美堂Omido〜ミッドタウンにある流行仕掛け人の店
#14 A Great Day in Harlem〜心に残る一枚の写真
#13 チャーリーレストラン〜ザカット料理本ソウルフードランキング1位の店
#12 St.Nicks Pub〜地元コミュニティの溜まり場
#11 Cotton Club〜禁酒法時代から大盛況
#10 Lenox Lounge〜ハーレム最古のジャズクラブ
#9 ボビーズハッピーハウス
#8 ハーレムの夏はジャズモービル〜トレーラ舞台、町で移動演奏
#7 Showmans Cafe〜ハーレムきっての老舗ジャズクラブ
#6 シルビアズレストラン〜ソウルフードの女王ここにあり
#5 ハーレムUSA
#4 ミントンズプレイハウス〜江健三郎氏も感激
#3 ワシントンハイツ 周辺の治安は最近悪化
#2 人気のアフリカンスクエア
#1 アポロ劇場〜黒人音楽の殿堂 改修工事で大きく変貌!




#2 アフリカンスクエア 125th Street 7th Ave.
2007年 新年号掲載

      

ハーレムのほぼ中央にあたる125丁目(Dr.マーティン・ルーサー・キング牧師通り)と、7番街(アダム・クレイトン・パウエル・Jr.通り)にハーレム一番の高層ビル“NYステイトオフィス”がある。アダム・クレイトン・パウエルJr.とは、1941年に黒人初の下院議員となり公民権運動の立役者として活躍、ハーレムホスピタルの建設にも尽力した人だ。彼の偉業を称え、ハーレム110丁目以北の7番街標識と、ステイトオフィスビルには、その名前が付けられている。
ビルの前の広場には、彼の銅像も聳え立っている。“アフリカンスクエア”と呼ばれる所である。

南アフリカ共和国の黒人解放運動指導者として、27年間牢獄に繋がれていたネルソン・マンデラが釈放され、再びアフリカ民族会議のリーダーとしてカムバックした。11日間でアメリカ9都市を巡り、NYではヤンキースタジアムに約20万の人々を集めた。その時、ハーレムのこの広場を訪れ、多くの黒人が集まった。以来、広場は“アフリカンスクエア”と名付けられた。

1987年10月9日、皇太子・美智子様(現在の天皇・皇后陛下)もこの広場を訪問された。当時、中曽根元総理の黒人とプエルトリコ人に対する知的問題発言などが話題になっていた。チャーリー・レンガル下院議員、デイビッド・ディンキンス106代目NY市長等、黒人政治家達の尽力もあり、厳重な警備での出迎えだった。日本人に対する風当たりが強い中、皇太子・美智子様のハーレム訪問は明るいニュースとなり歓迎された。

このアフリカンスクエアでは、7年前にローリン・ヒル(フージーズ)の無料コンサートが行われ、15000人が周辺道路まで埋め尽くした。あまりの混乱で拳銃発砲があり、数人が怪我をした。3年前にはジェームス・ブラウンの無料コンサートも行われたが、これは平日の昼間だったこともあって意外に人出が少なかった。

毎年夏になると、この小さな広場に野外ステージが特設され、無料コンサートが行われる。冬には、ここにハーレム最大のクリスマスツリーが点灯する。1年を通し、地元の人々の憩いの場として人気の広場である。

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#1 アポロ劇場 黒人音楽の殿堂 改修工事で大きく変貌
2006年11月号掲載



ハーレムと言えば、まずはアポロ劇場。黒人音楽の殿堂として余りにも有名だ。もとは1914年に白人の為のバーレスク(レビュー小屋)として建てられたのだが、34年からアマチュアナイトが始まり、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ボーン等が出演した。司会を務めた俳優ラルフ・クーパーはアポロの英雄だったが、96年に亡くなり、後に息子のラルフ・クーパージュニアが務めた。 

 56年にはジェームス・ブラウンが、69年にはマイケル・ジャクソンがジャクソ\ン・ファイブでデビューした。スティービー・ワンダーも11歳でデビューし、近年では、ローリン・ヒル、ディアンジェロ等のスターも輩出している。

 15年程前は、デンゼル・ワシントンやレズリー・スナイプスがよく見に来ていた。2階のバルコニー席には、マイク・タイソンが陣取って、可愛い女の子の出演者に札ビラを撒いていた。スパイク・リーも毎週のように来ていた。ローリン・ヒルがアマチュアナイトの司会を務めた時には、フージーズのメンバーも応援に駆けつけた。R&Bのテディ・ライリーとガイ、HipHopのクイーン・ラティファ、ビッグダディー・ケーンやビズ・マーキー達もよく顔を出し、とても華やかだった。暴れん坊ラッパー、ウータン・クランが出た時は、興奮してアポロのシンボル「ツリーオブホープ(切り株)」を蹴飛ばして大騒ぎとなり、二度とアポロに出られなくなった。

 アポロ劇場の前は「ナット・キング・コール・ウォーク」と名付けられているこれは娘のナタリー・コールが、ヒット曲アンフォゲッタブルの収益金より10万ドルをアポロに寄付したためだといわれている。

 元マンハッタン区長パーシー・サットン率いるインナシティブロードキャスティングが運営していたが、94年にニューヨーク市が買収し、NPOとして運営している。昨年末から2月まで客席の改装、夏には舞台と控え室の改修が大々的に行われた。7年計画で今アポロは大きく生まれ変わろうとしている。


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【プロフィール】
(トミー富田)=ハーレムコネクション代表。ミュージックプロデューサー。
NY市NPO 「ハーレム・ジャパニーズ・ゴスペル・クワイア」主宰。大学卒業後、リュージュの選手として札幌オリンピックに出場。
その後、東京六本木のジャズクラブ「バランタイン」のオーナーとなり、同店からは、阿川泰子・マリーン・島田歌穂・マルタ等、多くのスターが誕生した。
1985年渡米。
86年日本人として初めての「ハーレムツアー」を始め現在に至る。ハーレム商工会議所の正式メンバーで、94年にはアジア人初の「Dr.マーティン・ルーサー・キング・ジュニアエクセレントアワード」を受賞。著書に、「ハーレムスピークス(新宿書房)」「劇場都市NY読本(七賢出版)」。

http://tommytomita.com








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