2006年 12月25日 ハーレムとジェームス・ブラウンの死
2006年12月25日(月)朝、 ジェームス・ブラウンがジョージア州アトランタの病院で亡くなった。
クリスマス当日、世界中のソウルファンクファンが悲しみにくれた
1956年アポロ劇場アマチュアナイトチャンピオンとなり、大スターとなったJBは、その後何度もホームタウンであるアポロ劇場でコンサートを開き、アポロでのライブレコーディングアルバムは名盤となった。
訃報の直後から、アポロ劇場のひさし看板にはジェームス・ブラウン追悼の文字が流れた
JBの親友で黒人活動家のRev.アル・シャープトンの働き掛けにより、12月28日(木)、JBの棺がアポロ劇場に運ばれ一般のファンが最後の別れを告げるPublic
Viewingが行われた。前夜から沢山のファンがアポロ前に集合し始め、当日は予想をはるかに超える行列に、ハーレムの繁華街125丁目も一時車両通行止めとなった。
JBの棺は、真っ白い馬車でゆっくりとアポロ劇場の前に到着。アポロ前の黒山の人だかりからは「James Brown!James Brown!」の大合唱が止まなかった
125丁目の中心にあるアポロ劇場両側から4ブロック先まで、JBの姿を人目見ようとファンの大行列ができ、夜9時過ぎまで途切れることは無かった。
どこまでも続くファンの行列。劇場に入るまで4時間、長い人は半日以上を寒空の下で過した
便乗商売で、即席のJB-Tシャツを路上で売り歩く人々、コピー写真を1〜3ドルで売る人、絵を10ドルで売る人、、、、代わる代わるに現われる無店舗販売。元来買いもの好きのハーレムの黒人達は買いあさる。
ここぞとばかりに自宅からわざわざお宝を持ってきて、あちこちでファン自慢大会。「俺は初ステージのサイン入りパンフを持っている」、「自分は70年代のコンサートを幸運にもプロデュースした男だ」、「俺はJBの首振り人形を持っている」、「これはサイン入りLPだ」、、、ファンキーなハーレムでは長い待ち時間も退屈することは無い。
JBのコンサートにはこのスーツで行ったものだ、、、と当時を偲んでただ街を歩くJBファンのおじさんと、JBそっくりさんのJBジュニア
アポロに出ていた頃のJBが必ず通ったという伝説のレコード店Bobby's Happyhouseでは、JBを追悼し大音量でビデオ放送。店頭では少年から大人までJB顔負けの踊りに、ここでも人だかり。JBよりうんと年上だがまだまだ元気なBobbyさんは6時からのファミリー式典にも出席。
アポロ前では、3大ネットワークTVが実況放送。毎度のことだが、マスコミを動かす撮影クルーは殆ど白人。黒人の街ハーレムではひときわ目立つ。
もうすっかりあたりは暗くなった頃、やっとアポロの前に到着。行列は夜中まで続いたが、翌日サウスカロライナで身内のお葬式がある為、遺体はハーレムを出発。並んだ全員がJBの最後を見れたわけではなかった・・・。
翌日の新聞では、「ジェームス・ブラウン、アポロでの最後のショウ」と題し、1面トップを飾った
〜2006年12月28日 1:00PM-8:00PM James Brown Public Viewing〜
by Kimiko Matsuo
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